この8月は、久しぶりに実家のお寺に行きました。
実家のお墓参りはほとんど妹にお願いしてしまっているので
私はちょっと親不孝です。
結婚して、はや43年。
実家のお寺(父の方)は日蓮宗、
婚家のお寺は真言宗、
母の親戚はキリスト教(お墓は無宗教の霊園)という中、
私は婚家のお寺に一番足繁く通っています。
それは、「今の家から近い」ということも大きくて。
婚家のお寺は、このお盆は7月に行きました。
父方の菩提寺の墓地は、
お寺の本堂を見下ろす山の上です。
ホントに久しぶりで、
お墓の場所を覚えていて辿り着け、ほっと一安心。
いいお天気だったのでとてもいい気持ちでした。
お堂も、冷房が入ってきれいになり、椅子席に。
以前は 開けっぱなしで扇風機を回し、
縁側近くに座布団を敷いてお念仏を唱えていたんですが、
この暑さでは、冷房は必須ですね。
お坊さんも代替わりしていました。
私は2011年の東日本大震災の後、
「祈る」ということについて、
深く考えるようになりました。
どうしようもないことが起きた時、
人はただ祈るしかない。
どの宗派であっても、
仏教でもキリスト教でも神道でも、
何かに「祈る」という気持ちは同じだと思います。
歌舞伎の中に、
「文七元結(ぶんしち・もっとい)」という作品があります。
落語を歌舞伎化したものですが、
お店のお金を紛失して身投げしようとする文七に
たまたま持っていた五十両を上げてしまおうとする男の話です。
そのお金は、娘を売ってつくった金なのに。
「借金を返すために私を売ってください」と言った孝行娘に、
「すぐに戻すからな」と約束した金なのに。
「そんな大事なお金、受け取れません!」
文七がそう言うと、男は言います。
「お前はこの金がないと死んでしまうんだろ?
俺の娘は大丈夫だ。死にやあしない。
でもな。どんな神様でもいい、
お前が信心している神様仏様に、
朝晩祈ってくれ。
娘が病気をもらわないようにって」
どんな神様でもいい。
お前が信心している神様仏様に
……っていうところが、好きです。
神様が助けてくれるんじゃなくて、
「信心している」その心が、
誰かに届くような気がするんです。
理不尽なことの多い世の中ですが、
みんなの祈りが通じますように。
どの神様も、仏様も、
私たちの気持ちをわかってくれる。
そう信じたいです。
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